耳をすませば-Whisper of the Heart-を観た

 とりあえず、予告を初めて見たときに感じた「松坂桃李と清野名菜のスケジュールを抑えられたから、そこから企画始めて大きな予算かけずにいけそうなものを選び/作ったんでしょ?」っていうのは言い過ぎたと書いておきます。そこまで酷くなく、順当なものを作ってきた。

 


 そしてはじめに、僕はTwitterの感想でもよく点数表記を使うし、この後も何回も使うんだけど、これは単に「自分がどれだけ満足できたか」という指標だというのを前置きしておきたい。こういう娯楽の点数表記なんて自己満以外の何物でもないんだけど、でも他人に伝えるときにやっぱり点数表記ってのは便利なので使っている。だからまあ、作品のデキとしての点数を表している訳ではないということを承知して欲しい。

 


 耳をすませば。個人的には「マイナス点をつけるだろう…また邦画にある原作破壊ムービーだな……」決めつけてかかっていたんだけど、思ったより優秀な二次創作ムービーでした。原作ファンとして観ると70点くらい?単体映画作品としてみるとうーん…こういうオーソドックスな純愛作品が好きな人には80点くらいかな。
 もっとも、ジブリ版を信奉している身としては「…これ作る意味あった?」というのは感じるところであって、「10年後の2人を描く」という触れ込みを考えると出てきたものは40点くらい。これくらいやらなきゃだめだよね、というのだけ抑えてきた感じ。
 基本的にネタバレはしないように書く。そのために言い方が曖昧だったり、実例を挙げてなかったりするが、それはスタンスとして仕方ないと思って下さい。……が、予告編で「翼をください」が流れていことくらいは知っておいて欲しい。

 
 いちおう、この映画のややこしい立ち位置も書いておく。
 まず、原作の「耳をすませば」はりぼんで1989年に連載された少女漫画だ。そしてたぶん、作者である柊あおいからすると完全に満足をした終わりを迎えた作品ではない。コミックスも1冊で終わっている。
 そして、それの”一部分”を基にして宮崎駿が勝手に脚本を書き、近藤喜文監督が作ったのがスタジオジブリ版のアニメ映画で、ストーリーラインからキャラクターの設定も全然違う。そもそも原作には天沢聖司の兄など、アニメ版には存在しないキャラクターもおり、年齢設定も違えば雫が創作作品を完成させることもない。(そして、これらの要素をミックスした小説版もある)
 
 なぜこんな相違点を書くかというと、今回の映画版は比率的には明らかにジブリ版の続編だが、それでもいくつも違いがあって、更なるパラレルワールドとなっているからだ。実写化で違いが出るのは当然だろ、という声もあるだろうが、実現が難しくない部分も含めて明白な違いが存在しているので、企画当初から別モノとして脚本を書いたのだろうと思う。
 書くのが遅れたけど、僕は柊あおいの漫画が好きで、原作も好きだし、スタジオジブリ版に至ってはジブリアニメでいちばん好きな作品……どころか自分の好きなアニメーション作品でトップを争うくらい大好きな作品だというのは書いておく。要するに原理主義者に近い。
 で、そういう視点で見るとよく頑張って原作・ジブリ版の描写を拾ってきていて、台詞なんてそのまんまのものもあるし、そっくりにしているカットも多い。10年後の現在と、10年前の過去が入れ子構造になって描かれる手法は、そういった原作の一部分だけ抽出して描写するのに適した省エネのやり方だと思う。要するに、過去作ををないがしろにすることなく、上手く映像化している。飛び飛びになってはいるものの、過去パートはなんとなく少女漫画的な展開を補完して観れるようにはなっていて、破綻してはいない。
 
 ただ、映画全体の出来がどうかというと、少し散漫というか……「で、いま実写化する意味あった?」というのが正直なところだ。
 確かに一本の映画として成立してはいる。TVドラマでやるには予算・演出・尺的にも難しいと思うし、つまらない訳ではない。ただ、(僕にとっては)大傑作であるあのジブリ版の10年後がこれ!って出してくるにはあまりにも平坦だ。
 よくある少女漫画の展開が飛び飛びの過去パートで描かれ、同時進行で仕事と将来の夢に悩む雫が描写されるのだが、雫の現状はここで書いたように「仕事と将来の夢で悩む」と10文字でまとめられる以上のものではない。10年経っても聖司のことを信頼し、文通を続け、互いに想い合っている。これは過去作終了時と変わらず、本編を通じて揺らぐことはない。となると、過去作との相違点はこの10文字だけになってしまう。
 ……95年のアニメの続編を実写化するのに、忠実にやるならともかく、未来を描くって言ってるのにこんな何もないOLの姿でいいの?
 
 僕がジブリ版を大傑作だと思っているのは、原作から年齢設定が変わり中3になったことで雫の抱える悩み・焦燥感が圧倒的なものになっていたからだ。ただの本好きの女の子が、仲良くなった男の子が大きな夢を持っているのを見て、自分の姉が社会にコミットしようとしているのを見て……自分の将来に向き合い、がむしゃらになって親に反発してまで創作へ傾倒し———最後は中3のうえ、まだ付き合ってもいないのに「結婚しよう!」で終わる。なんて素敵な幻想に満ちあふれた少女漫画なんだろう。100点満点で1000点以上つけたくなってしまうような、他にはない唯一無二の力を持った作品だと思う。宮崎駿の妄想力は凄い。(余裕があれば、wikipediaジブリ文庫などで制作経緯を読んでみて欲しい)
 
 10年後を描いた実写版で、こういった巨大な感情が描かれていたかというと、そんなことはなかった。確かに人生の岐路は描かれていたが、なんというか、悪い言い方をすれば「ありふれたもの」だった。
 例えば、ジブリ版では「夢/進路/他者との比較/自己表現」といった思春期ならではの痛烈な悩みが軸となり、恋愛で最後まとめていた。今回の映画、10年後の軸が「夢/仕事/将来」あたりが軸になるのはまあわかるのだが、ジブリ版で感じられる焦燥感はなく、多くの人が「あー社会人になって少しすると大変だよねー」と同意するレベルになっている。同意できないよりは全然マシなのだが、(個人的には)作品のレベルが数段落ちてしまっていて、単に未来の1パターンを確認できる以外の感情が起こらないのだ。実際、作中の悩みはあっさりと解決する。
 だから、最低限思いつくことはやったよね……でもそれ以外10年後のパートで褒めるところないよね?って事で赤点になりそうな点数、40点にした訳だ。
 もっとも、下手に雫と聖司の関係を悪化させたりしなかったことは本当に英断だと思っていて、下手に話を盛り上げようとするなら、理不尽な障害を置いて雫を慟哭させればいいんだけど、そういったことがなかったのは個人的に大きな評価点だった。天沢聖司の超絶とした……けれど気取っていない少女漫画のヒーローっぽさは松坂桃李が完璧に再現している。松坂桃李ちょお格好いい……。(過去パートの中川翼も良い芝居してると思う)
 
 ま、要するに、前述したように平坦なのだ。悪い感情もそこまで起こらなければ、なるほど!と思うことも無いし、各キャラクターの行いに涙することもない。これくらいは書いてもいいと思うけど、エンドシーンまで焼き直しだ。だから、商業作品というより2次創作の1つ程度と考えるべきだなこれ……と思ったのだった。それで冒頭の得点に繋がる。
 単なる恋愛映画としてみるなら、過去パートが飛び飛びになっているせいで散漫な印象を受けかねないし、過去の名作の続編とするなら変更点が多いうえ10年後パートが希薄すぎる。下手に映画単体として破綻していないぶん、語るのが難しい作品になってしまったと思う。
 
 つけ加えるなら、全体的に芝居が大仰で舞台っぽいのも気になった。これはさすがに演技指導のレベルの問題だと思うけれど、顔の表情変化が大仰なキャラが多く、かつ台詞が少し実写映像っぽくない印象を受けたのだ。(どうでも良いけど、おじいさん役の近藤正臣の芝居がいちばん自然でのめり込めた)具体的に言うと、小説用に書いたシナリオを脚本に落としこんで、それを台本のまま読んでる印象があって——特徴的なのは「え?」という聞き返しや「あ、えと…」など困った時のどもりの台詞。漫画、特にアニメでは多く使われる描写だと思うけど、実写で使うにはあまりにも頻繁に登場していて不自然に感じた。
 そして過去パートはこの大仰な感じが顕著で(恐らくジブリ版を元にしているせいだと思う)、見ていて気恥ずかしくなることの連続だった。2時間弱の映画なのだが、開始15分で「この映画あと何分かな……」と腕時計を確認したのは久々だった。
 僕はどちらかというと舞台の大仰な芝居が苦手で、これはだれかがアニメの声優芝居がわざとらしくて嫌いだ、って言っているレベルの、嗜好のレベルの話だと思うんだけど、今回はそれに引っかかってしまった感じ。役者さん達はふつうの現実で活動している映像が流れているのに、出てくる言動が何か感覚的に違う……といった印象だった。まあ、雫のキャラ設定として「表情がコロコロ変わる、感情豊か」というのがあるので、雫に関してはそういう演出意図があったのかもしれないが……。
 
 そうなると、妙な再現度の過去作オマージュも少し気になってくる。最大の不満点は——これは恐らく多くの人が挙げるポイントだと思うのだが——主題歌が「カントリー・ロード」から「翼をください」になっている事だ。……なんで変えた?ジブリ版を象徴する要素のひとつでは?
 今回の映画の冒頭で流れたとき、いちおう演出意図というか、なぜこの曲が選ばれたかは充分理解した。それくらい強烈なメッセージ性を感じるカットだったけど、あれ過去作のストーリーラインを知らないと伝わらないうえ、全編にわたって曲を変える意味は無かったように思う。
 権利関係など、色々な要素があるんだと思うけれど、そういった詰めの甘さをいくつか感じてしまうので、オマージュシーンに対して「あ、コレはアレだな?」と感じることはあっても、ファンとして嬉しくなる、正の感情が巻き起こることはなかった。なんというか、オマージュが多いのに正負の動きがなく虚無が続くのはある意味不思議な体験だった……。いやほんと、評価すべきかどうかここは本当に悩むポイントで、10年後の舞台設定を下手に2022年にせず1998年にしているのも頑張ったし、1998年、1988年双方共に、小道具はちゃんとしたものを使っている(携帯は出てこないし公衆電話でテレカを使うシーンもある!)頑張る気はあるんだよなぁ……。
 これも書いて良いと思うけど、コロナ禍で海外ロケができなくなったようなのだが、いかにもイタリア!なふうに画は作られていて、作り手側の努力は色々なところで伝わってくる。他の実写化邦画で印象がチグハグな作品が多い中、とても自然な雰囲気を作った努力は充分に評価されるべきだと思う。
 ああそうそう、主役2人の役者は現在過去とても似ていて、よく松坂桃李/清野名菜に似せたなあ!と感じるくらい。途中それが強烈に効く効果のシーンがあって、そのシーンだけで映画の満足度が大幅に急上昇した。……苦笑。
 
 次々と僕がケチをつけるような点を挙げてしまっているが、まあ……「耳をすませば」というタイトルでなければ煩くない恋愛映画の秀作のひとつ、で終わっていると思う。それゆえにそこそこの点数を映画単体としてはつけているんだけど……。この映画の最大の褒めるべきポイントとしては、邦画としては基にした作品をかなり頑張って再現しようとしていること。そしてこの映画の最大の不満点は僕が大事にして欲しいと思ったことが何個もハズされたこと、だ。
 実際、偉そうな言い方になってしまうが、原作者である柊あおいにとっては、作られて嬉しかった作品なんじゃなのではないか、と思う。基本的に破綻していないし、原作→ジブリ版ほど大きな改変があるわけじゃない。ジブリ版からまっとうな計算をして10年後のパートを足した"だけ"の作品だ。
 
 僕は最終的にこの映画は認めない訳じゃ無いけど、「耳をすませば」というタイトルがついた作品の系列に頭の中で連ねることはしないと思う。それくらい過去作が好きだし(柊あおいの別作、「星の瞳のシルエット」も傑作少女漫画なのでぜひ読んで欲しい!)、今回の映画にはノれなかった。だからといってダメ映画に推す訳じゃない。人に薦める可能性だってある。
 ただ誰かに面白かった?観に行った方がいい?って聞かれたら……どう返答したらいいのか迷う。原作がそこそこ好きなら行っても良いんじゃない?くらいに落ち着くのかな。そもそも恋愛映画が好きかどうか確認しなきゃいけないかもしれない。とにかく評価が難しい出来になってしまったと思う。まあでもそれは原作付き作品の性だから仕方ないか……。
 

 最後に、どうでもいいことをひとつ。

 作中の台詞で無理に「耳をすませば」って使ったり、「Whisper of the Heart」とかいう英題を付け加えるのは大嫌いでした……